プロフィール

山口県宇部市の出身です。

近眼で眼鏡をかけ始めたのは小学校45年でしたが、度を強くしすぎたことや使い方のまずさなどで度が進み、中学校の時は学年で1番近視の度が強かったと思います。
中三の時に読んだ本で、ある近視の度の強かった男性が、あるとき目から出血し失明したことが書いてあり、高校に入ってからは、成績よりも目のことが心配でした。

友達は皆、大学を卒業すると就職していきましたが、私は近眼が何とかならないか、身体全体の健康ということを含めて、「自然食療法家」などを選択肢の中に入れていました。

自分の身体を実験台にして、多量の塩分を摂ったり、味覚を無視して極端に糖分の多い食事などをしている内に、若年性糖尿病になってしまいました。
だるくて眠くて、トイレに行くと異様に甘酸っぱい小水が出ます。
「家庭の医学」か何かに、[若年性糖尿病は一生治らない]と書かれてありましたが、医者の云うことなどまるで信用する気のない自分にとっては、特別ショッキングな記述ではなく、ほとんど気になりませんでした。
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53Kgの体重が6キロ減り、その後逆に太りだして62キロまで増えました。
それまで何回か測っていつも120以下の血圧が、150を超えていたので、やはり身体は相当オカシくなっていたのだと思います。

実は大学3〜4年生の時にも無茶な食事で身体がだるくなり、土気色になり、ゼミの先生にも言われて帰宅したことがあります。
その頃は10メートル歩くのも辛くて、進行方向にベンチが見えると、『あそこまで頑張って歩けば座れる。もう少しだ』と自分に言い聞かせながら歩いていたこともあります。
肝臓がどうかになっていたのかも知れませんが、医者に行く気にはなりませんでした。
薬とか医者は嫌いで、『モルモットにされるくらいなら、死んだほうがマシだ』と思ったからです。

身体の持っている自然の力に対する信頼というものが、自分の中にあったのだと思います。

『健康になるためには、どんな食事が良いのだろう?』と考える日々でしたが、田舎( 山口県宇部市 )に居たとき、父親に勧められて初めて野口整体を受けました。
その先生にお借りした()「風邪の効用」と「体癖」はとても面白かったですが、食事の事について( 整体の創始者である )野口晴哉(はるちか)氏が、「身体が敏感なら、身体に必要なものは自分で分かる。食べたい時に食べたいものを、食べたいだけ口に入れれば良い」という内容のことが書かれてあり、それまで頭でっかちに色々工夫ばかりしていた自分にとって、まさに目から鱗でした。
食事を以前の普通のものに戻すと、体重も体調も、次第に元に戻りました。
その後何度も測った血圧も血糖値も、以前の正常な値になりました。

野口整体の考え方や身体の見方に強く惹かれましたが、すぐに仕事にしようと思ったわけではありませんでした。
しかし、本部道場に住み込みで整体漬けになれる「研究生制度」の話には心惹かれました。
ところがその話をした当の先生が、「今の本部のあり方を考えると、研究生になる事はお勧めしません」と言われ、 諦めました。

指圧などの国家資格を取った直後に、整体協会の春の講習会が静岡県の焼津であり、そこで出会った高野先生に声をかけられ、夕方〜深夜の仕事をしながら、地下鉄の新宿御苑駅の近くの下宿から、吉祥寺の高野先生の指導室まで、月に15日くらい通う生活が始まりました。

高野先生は野口先生に、「君は整体をやるために生まれてきたようなものだ」と言われた人で、協会の最高位の人であり、次元の高い世界を見せてもらうことができ、自分にとってはとても幸運なことでした。
長い間気になっていた視力は、コンタクトレンズの度数で言えば、左右ともマイナス8.00でした。
しかし、先生の整体を受け、目に愉気をし、また活元運動をすることで、両眼とも16段階度数の低い− 4.00まで回復しました。
また私は真性包茎で、いちど思い切ってある泌尿器の医院へ電話をしたら、電話口に出た女性が、声が聞き覚えのある人で、慌てて受話器を下ろしました。
整体で包茎の問題は解消でき、一人前になれましたが、先生に「手術は簡単だけど、腰の弾力が損われる」と言われ、手術しないで良かったと思いました。

「活元運動体験談」に記しましたが、10年以上悩まされた不眠症が、活元運動で1週間で解消しました。

自分の体験からだけでも、整体や愉気、そして活元運動の素晴らしさは、どんなに強調してもしすぎることはない位に感じています。

1人でも多くの方に、野口整体を受けていただき、また活元運動や愉気を日々の習慣として取り入れていただき、毎日今日という一日を、最高のパフォーマンスで過ごしていただきたいと思います。